心の闇【子供編】
《ある日の児童館での会話》
ミミちゃんは、その日に児童館で初めて会った、少し年上の女の子に誘われました。
「ねぇねぇ、これからみんなで私んちに来ない?」
「え? これから? お家どこなの?」
「ここから自転車で10分。歩いたら15分」
「ふ~ん。。。」
「私ね、社長令嬢なんだよ」
「・・・(ホントかなぁ?)」
ミミちゃんは、一緒に来ていた自分のお友達と相談してから、家に居るママにも電話して許可をもらった上で、みんなで行ってみることにしました。
すると、その道中で、
「あ、電話だ ・・・もしもし、お母様? ・・・わかりました」
「どしたの?」
「今、お母様から電話があって、今日はお家はダメだって言われたから、近くの公園にしよう」
「(今、あの子の電話なんて鳴らなかったよね?)」
その日の帰り道、一緒に行ったお友達が
「あの子、よく児童館で会うんだけど、いっつも同じ服を着てるんだよ。さっきだって、電話なんてかかって来てなかったよね?」
と言いました。
子供たちの話からすると、確かにその女の子は「本当のこと」を言っているようには思えませんでした。
でも、これって単なる「嘘つき」ではなく、その子の寂しさが聞こえてくるような嘘のつきかただなぁ、と私は感じました。
もしかしたら、その子は、、、
両親が共働きで、家に居る時でもあまりかまってもらえていなかったり、
十分に話を聞いてくれる時間が無かったりして、
寂しくて愛情に飢えている状態にあるんじゃないのかな?っていう気がしました。
自分の心の拠り所が無い子供は、人の関心や愛情、尊敬の念や注目を得たくて嘘をつくことが多いように思います。
でも、それ故に「嘘をついたな!」と叱られたりしたら、どうでしょうか?
…その子は二重に傷つくことになると思うのです。
どんな状況であれ、子供が愛情に飢えていて、誰かにかまって欲しくて仕方がない場合、子供ゆえにこのような方法の取り方しか出来ないんだと思います。
幼稚園生くらいまでの子のように、素直に「かまってほしい」とダイレクトに言えなくなる年齢になると、本人にとってはそれが「恥ずかしいこと」となり、内に秘めてしまうようになりますよね。
だから自分からは言わない。
その本心に気づかない大人は「放っておいても大丈夫」と勘違いをしてしまうのです。
必要なのは、周囲の大人が(出来れば両親や保護者たち本人であればBEST!)そのサインに気づいてあげて、手を差し伸べてあげることです。
「わかってるけど、仕事が忙しくて、なかなか思うように時間をとってあげられないんだ」と言う方も多いとは思います。
でも、単に時間の問題だけではなく、気持ちを寄せることで、少なからず解決できる部分もあるのです。
字が読める年齢なら、簡単なお手紙の交換なんかでも、かなり喜んでくれると思います。もちろん直筆のものに限ります。メールなんかではなく!
肝要なのは、それをしようと心配りをする大人の側の気持ちです。
ごく短い手紙なら、例えそれがチラシの裏に書いたものであっても、十分に気持ちは伝わります。
子供の心の闇。
それが大きく育たないうちに、見つけるごとに芽を摘んでいってあげることが、大人の大きな役割です。
私はそう思っています。