子供のしつけ今昔。(※ちょっと長いよ~!笑)
先日、ある方々が。。。
「子供に基本的な礼儀、特に挨拶をしっかりと出来るように叩き込まないのは、ダメ親!」
「挨拶ひとつキッチリ出来るようにさせられない親なんて、ロクなもんじゃない…」
…といったようなことを仰っていたので、それからずっと考えていました。
そこで、私はどうかと振り返ったら、ハイ、明らかにダメ親です(笑)
でもね、私はそれを「ダメ」とは思っていないんです、実は。
確かに、昔から日本国民は他人の目を気にして、他人の評を気にして自分や子供を律してきた……そのおかげもあって、和を保って平穏に生きてきたんだと思います。
それはそれで、良い点も多々あります。それは間違いないでしょう。
ただ今回、私が思ったのは、何にでも旬や流れがあるように、子育てやしつけ方も、その時代にそぐわないやり方を続けるのはいかがなものかということでした。
私は、原因が何であれ、今の子供たちがなんとも安易に自他の命を絶ってしまうという事実は、子供の教育を考えていくうえで、かなり大きな危機感を持って考慮していかなければならないことなんじゃないかと常々考えているんです。
ここで突然スピ系の話につながりますが――
誰かにヒーリング(※内容的にはカウンセリングのように、まず相手の話を聞きます)をする時、まず間違いなく出てくる“問題”は、親子関係です。
- 厳しすぎる躾けかた
- 親の過剰な管理
- 親からの過剰な期待
- 兄弟の年長者として課せられた重い責任
- 親に甘えられなかった
…などなど、この“関係”にこそ、“問題”を挙げたらきりがありません。
そして、何よりも困るのが、こういった親子関係で構築されていく問題は、子供がかなり大きくなるまで、自身が「それが問題の根本原因なんだ」と気付けないことです(※一生気付ける機会がない人も多いでしょう)。
そのうえ、本人の意識できるような記憶など(つまり顕在意識)が発達する前から、親に刷り込まれて育つものなので、オウムの洗脳どころの騒ぎじゃないほど、深く強烈に心身に埋め込まれてしまっているため、そこから脱するのはハンパなく大変な作業になります。
実際にヒーリングの現場では、50代や60代の日本男児ですら嗚咽して号泣するほどの「辛かった体験・気持ち」が噴出しますから(そりゃもう、ヒーラー側も必死ですよ)
つまり、それほど「朝は日が昇る」ことに疑問の余地がないのと等しく「親に叩き込まれた言動」は絶対的なものとして、その意識/無意識に根付いてしまうのです。
これ。。。すごく怖いことじゃないですか
かくいう私も、そのようなトラウマ(※ここではこれで一括りにしておきます)満載の人でした(笑)。
ヒーリングを学んだおかげで、生きることがかなり楽にはなりましたが、それでもまだまだ呪縛からは逃れ切れていませんから、日々いろいろな葛藤が生まれてきます。
何せ、子供の頃は毎日のように死にたいと思っていた人ですから(笑)。
…で、話は元に戻る……
このようなことを知ってしまったから、子供の躾や教育に関しては、かなり慎重になっているという経緯があります。
それは、以上のような経験から、私が子供に対して、挨拶ひとつマトモに仕込めない(仕込まない)のではなく、親が威圧的にその立場をふりかざして子供に何かを押し付けるという行為自体を、出来るだけしたくないと思うようになったからなのです。
ビビリだと言われようが何と言われようが、自分の可愛い子供に、自分と同じ思いをさせたくないんだ~というのが最重要に思えてならないんですね、私は。
威圧的/教育に厳しい親に育てられた人は、
- 人の顔色をうかがう
- 人の言うことを聞かなければ可愛がって(大切にして)もらえない
- 本意でなくても、人に支配されることを受け入れてしまう
- 常に良い子でなければいけない
- 成績が良くないと親に嫌われる
- 親に褒めてもらうには、妹・弟の面倒をみなければならない
- お姉ちゃんだから/お兄ちゃんだから、親に甘えられない
…などなど、ホントに後遺症満載です(笑)。
いや、決して笑えるものじゃありませんけどね、その実態は。
なので、ウチは出来るだけ自然児的に育って欲しいと思っているので、ギャーギャー言うのは「溜まってきてから」が主です。
あまりにも自分の周りの片づけができていないとか、出かけた帰りが遅くなるのに連絡を入れないとか…そういったことが多いですが、その中には、大人でもなかなか難しいほどのキッチリとした「挨拶をビシッとやれ」という類の指令は滅多に入りません。
たまにはそういったことも、機会があれば話して聞かせるんですが、教え込むという感じではありませんし、ましてや高圧的に言ったりすることはありません。
常々、戦後から一向に進化していない日本の教育システムを批判しておりますが、親子関係についても軍隊的なのは有り得ないと考えています。
・・・以上、ワタシの主張でした。