明日死んでもいい?
今年に入って、私と近い年齢の人が亡くなった話を2回聞いた。
1人は、小学校高学年~中学の前半にかけて、ただ一人の親友だった子。
中学卒業以降は、まったく付き合いが無くなってしまったため、ずっと「彼女、どうしてるのかなぁ?」と彼女の誕生日前後には必ず思い出していたけど、結局一度も再会は叶わないまま、逝ってしまった。
年齢としてはあまりにも早すぎるけど、事故なので、それは致し方なかったと言うしかないのかもしれない。
でも、せめて一度くらい、成長した彼女に会いたかった
2人目は、知人のご近所さん(こちらも女性)。
長いこと旦那様とうまくいっていなかったけれど、ようやく仲良くなってきて喜んでいた矢先の、あまりにも突然の死だったらしい。
知人も、この件で「考えちゃったよ」と言っていたが、私もこの2件の話が忘れられず、珍しく(笑)真剣に色々と考え始めてしまった。
それは、
「明日死んでも、後悔がないかな?」ってこと。
私もアレコレ考えた。。。結果、
「あまりにも大きな後悔が残る」って気づいた。
だから、「明日」とか「来月」とは状況的に言えないけれども、「遅くとも来年の前半には…」と決めました。
言い訳とかじゃなくて、希望としては「明日にでも」なんだけど、本当に今はタイミングが悪いんで、仕方なく「準備期間」として条件を整えていき、来年前半には「これでいつ死んでも後悔しなくて済むわ」と思えるようになる、と決めた。
何よりも、自分の人生の中心に、他人を置くべきではないよね。
たとえそれが親子や兄弟だとしても、ヒトは私の人生を生きてはくれないんだから。。。